(i.s.)

こととか

タイムラインに傷が流れる

長田弘が黙されたことばという詩集の中の聴くことという詩で、「眼で聴く。そして、耳で見るのだ。けっして語ることをしないものらが語ることば。どこにもない傷口から流れ出すことば。」と書いている。いろんな場面でこの詩を思い出す。ツイッターに何かを投稿するって、自分の傷口を見せるようなものじゃないだろうか。自分が何を思っているか呟くのは、どこが痛いか訴えるのと似ている。〇〇なうとか、〇〇美味しいとか、そんな何でもないことも言わずにいられないって考えると切ない。自分に興味を持ってほしいとか、知ってほしいとか、そんな悲鳴みたいなものが隠されているような気がする。悲鳴って動物の言語で、人間は悲鳴を何かに翻訳して喋ってる。駅でただ一点をずっと見つめてるホームレスを見かけたことがある。よっぽどたくさんのことを言っているみたいな沈黙だった。

何を喋っても相手の語彙の中を泳いでしまうだけで、言葉では自分の全てを伝えることができなくて、ある意味絶望するんだけど悲鳴や体温など、動物としての自分が持っている黙された言葉でなら何か伝えることができるかもしれないとふと思った。いや言葉の裏にも黙された言葉があると思うと人間は意思疎通可能なんじゃないかと思えてきた。人間は意思疎通可能なんだろうか。